幻の絹、天女の羽衣「小石丸」

このかわいい名前のついた蚕。日本古来の在来種の蚕です。
「小石丸(こいしまる)」は蚕の中で最も細い糸をはき、艶があって張力が強く、けば立たないなど優れた特性を持っています。しかしあまりにも小さく繭糸量が少ないため経済性にかけるとの理由で姿を消しました。“幻の絹”と伝説化されるのはそのためです。
軽く、柔らかく、しなやかで、薄くてもあたたかい、美しい艶、天女の羽衣と呼ばれるにふさわしい、絹本来の全ての良さを最高のレベルで併せ持つのがこの小石丸なのです。

現在の養蚕と絹製品のほとんどを占めている交雑種は、収量を増やすことを目的に育種されたもので、繭は大きく、糸は太くなります。絹は重さで取引されたため、ほとんどの養蚕家がこちらを選びました。このような糸から作られた絹製品は、重たい、擦り切れやすい、風合いが乏しい、大味な着心地など、もともとの絹の良さからはかけ離れていくものでした。それは例えば経済性を優先するあまり、味や風味を無視してとにかく収量が上がる品種を開発し続けた、水っぽい味の野菜のようです。現在手に入る中国産の絹で作られた着物や、国産でも容易に手に入る着物は、昔の人が着ていた着物とは別物なのです。絹だからいいのではなく、小石丸だからいい絹・いい衣となるのです。

ただ、最高の布作りを求めて

小石丸(こいしまる)は、蚕の品種のひとつ。宮中の御養蚕所における皇后御親蚕に用いられる品種で、非常に細く上質の糸を産みだします。昭和期の一時、飼育の中止が検討されたが、当時皇太子妃であった美智子皇后が残すことを主張して飼育は継続されました。農林水産省にて原種保存のために飼育されていました。その後、法改正があり日本全国で飼育されるに至っていますが、秋山は法改正がなされる以前から、ただ最高の布を作りたいただそれだけの思いで、数々の試練を乗り越え、小石丸の商業化に成功していました。昭和63年(1988年)から、宮崎県総合農業試験場の協力の下、小石丸蚕の飼育試験を開始し、平成2年(1990年)にようやく最初の作品を完成させました。当時は養蚕·製糸ともに国の厳しい法律に縛られており、小石丸のような特種な品種を手に入れることは、大変困難なことでした。

製糸のこだわり

ここまでこだわって育てている小石丸です。反物、布にするまでどこにも手を抜きません。この小石丸の本来の味を引き出すため、まゆは生のままの冷凍保存(一般的には乾燥保存)、製糸は古法の座繰り器で行っています。現在はほとんどの糸が自動繰糸機によって高速で高効率の製糸が行われています。しかし高速で製糸し、強く張ったままで乾燥させた絹糸は、輪ゴムを引っ張りきった状態のような糸で、伸びる余地もなくこのような糸で織物を作った場合、擦り切れ易く、しなやかさも無くなってしまいます。このような糸は業界では針金糸とも呼ばれますこの呼び名からも、古来の品種「小石丸」と現在の品種の違いがどれほどか想像していただけるのではないかと思います。

月間染織α 1991年8月号 掲載記事
(※読みやすくするため修正加えております。)

甦った幻の絹「小石丸」養蚕奮戦記

文・秋山 眞和

桑を食べる小石丸蚕

「針金糸」絹糸への疑問

蚕の種類は原産地名で大まかに区分され、現在は日本種・支那(中国)種・欧州種の3系統に分けられている。そして、日本種は日本在来種と朝鮮半島産の蚕を含んでいる。

小石丸。この可愛い小姓のような名前の付いた純白の蚕。小石丸は日本古来の在来種の蚕だといわれている。

最も細繊度の糸を吐き、ケバ立ちが極端に少ない。糸の練り減りが最も少ない、張力が強いなど、数々の優れた特性を持つこの蚕は、あまりにも小粒で繭糸量が少ないため、品質が優れていても経済性に欠けるとの理由で、現在は商業養蚕から姿を消して久しい。

今では日本の伝統を継承している宮内行事として、皇居の紅葉山御養蚕所で代々の皇后様が飼育しておられるのが小石丸であり、その種を山梨県にある農林水産省蚕糸試験場蚕育種部蚕品種保存研究室において原種保存のために養われているほど貴重な品種である。

現在の一般の家蚕は、いろんな品種を掛け合わせ(交雑種)て、病気に強く、粒も大きく、糸も太く、従って繭糸量が多くたくましい蚕に改良されているが、“針金糸”というありがたくない呼称を付けられているのは、この経済偏重の品質軽視を風刺したものである。

戦前、日本の最も重要な輸出品であった絹は、欧米の婦人たちの服飾にはなくてはならない素材であり、日本の絹業界も大いに活況を呈した。そして、国策としていかに絹を量産するかに主眼がおかれ、数々の品種改良によって均一な絹糸を少しでも多く生産できる蚕へと変化させていった。

これ自体、生物学、遺伝学上の大変な功績であったが、その反面失ったものも少なくなかった。絹織物がすぐ擦り切れる、布が重くなった(糸の取引は重量で行なうから重いほど生糸生産者には有利)、着心地の良さを軽視した、つまりすべてが大味になってしまった。

形が良くて粒が揃っていても、水っぽくて本来の味も香りも希薄になってしまった温室の野菜や果物、パサパサして不味いブロイラーのように、蚕は変質してしまった。

絹の手織物の制作に当る私は、どうしてもかつてのあの優れた繭の糸で、作品を織ってみたいという夢を長年抱き続けてきた。

しかし、夢を追い求めることより、私自身の手で小石丸を飼育することを思いたった。

私はまさしく地烏の味を求めて、細繊度蚕品種に挑戦することになった。そのためには先ず何はともあれ、小石丸の蚕種を入手することに全力を投入した。

小石丸繭

小石丸蚕種の入手

小石丸の蚕種は研究機関でないと分譲を受けられないことを知り、昭和60年(1985年)に照葉樹林文化研究所を設立した。そして幸運にも私の住む綾町に近い宮崎市にあった農水省蚕種試験場(平成元年3月廃止)の紹介で、茨城県つくば市の農水省蚕糸昆虫農業技術研究所に協力を要請したところ、直ちに山梨県の分室に連絡がつき、平成元年(1989年)3月に待望の小石丸種三蛾分を同分室より分譲を受けることができた。

さて、蚕種は入手したものの、実際に養蚕できるまでには、幾つかの関門をくぐらなければならなかった。我が国には養蚕の安定を図る法律として「生繭売買法」なるものが、戦前から厳然と生きている。繭の飼育、販売等を厳しく規制しているこの法律の内容を一つずつクリヤーしなければならない。生きた繭を移動するにも国家免許がいるが、幸いにしてこの生繭売買の免許は取得していた。

前年の昭和63年(1988年)秋に宮崎県知事へ宮崎県総合農業試験場蚕業部(県農試)において、小石丸種の試験育成と増殖を要請すると共に、平成元年(1989年)春には「小石丸蚕種を利用した地域特産物の開発」事業案を県に提出して、小石丸の飼育準備が整えられた県農試において、3月に小石丸蚕種を入手すると4月20日に3蛾を掃立(孵化させる)。5月末には1蛾から400粒、総数1,200粒の蚕種を得た。さらにこの年の秋には1,200の蛾から240,000粒の蚕種を生ませる素晴らしい成果を得た。しかし、これはまだ第一歩にすぎなかった。ここで得た蚕種を本格的に養蚕するためには、県下の養蚕農家の手を借りなければならない。

小石丸の蚕
繭づくりの蔟(まぶし)

小石丸の養蚕

法規制をクリヤーする努力と共に、小石丸の養蚕を依頼する農家の選定が、非常にむつかしかった。毎年減少しつつある養蚕農家は、国内の製糸工場にとっては宝物にひとしい存在となっている。各養蚕農家へは各製糸工場が蚕種を各シーズンに配付して、がっちりと太いパイプで繋がれており、小石丸の養蚕だからといって依頼するにも、製糸工場の了解のもとに何軒かの農家を融通してもらうほか手だてがない。私はこの問題を次のように解決へと運んでいった。

  1. 宮崎県下の養蚕農家を傘下に持つカネボウシルク(株)の承諾を得る。
  2. 農協、県経済連の許可を得る。
  3. 病害に関する問題(防疫体制)の解決(微粒子病の防止)。
  4. 收繭量、減收に対する保証、さらには価格を交雑種の何割増しに設定するかの合意。
  5. 養蚕時期。
  6. 優良養蚕農家の選定。

平成2年(1990年)4月17日、県農試にて小石丸飼育現地打合せ会を開いて、初めて関係者が一堂に会し、愈々飼育に向けて具体的に前進する時を迎えた。そして、蚕三令までを県農試で飼育することが決まった。

5月初めには宮崎県綾町内から2軒の養蚕農家を選定、5月20日に蚕三令虫を農家へ依託して飼育の開始、そしてわずかの桑葉で成育する小石丸飼育についての仕事は順調に進んだが、飼育中の問題として、気温低下の注意、上蔟が早いこと、まぶし(蚕の部屋)を小さくするなどの課題が出てきた。

5月30日、待望の收繭日、約104㎏の俵型に窪んだ小石丸の繭を收穫した。価格は交雑種の4倍と決まった。そしてこの日、宮崎県繭検定所にて乾燥して、38.1㎏の乾繭を入手することができた。

こうして足掛け5年におよぶ小石丸の実用化への計画は、やっと実を結ぶことになった。

しかし、繭のままでは何にもならない。この繭をどうして糸にし、さらにどのような布にまで生かすことが可能かが、次の課題であった。

蔟(まぶし)で繭をつくりはじめた蚕
繭の形
収繭したまゆ

座繰り器による糸取り

繭から糸にするには、昔は座繰りという手法で行なわれていた。現在は自動繰糸機によって、高速で高能率の製糸が行なわれている。

しかし、高速で繰ることは糸の質にとって良いことではない。高速で製糸し、ピーンと張ったままで乾燥させた絹糸は、丁度輪ゴムを引っ張った状態のような糸で、もう伸びる余地も少なく、従って織物になった時に擦り切れ易このような針金糸といわれる現在の絹糸に対して、縮んだ輪ゴムのように伸びるゆとりを持った絹糸を目指したい。そのためには経済的な能率を犠牲にしてでも昔の座繰り器を復元して、これで糸を取りたいと考えた。

座繰り器の資料收集に滋賀県木之本町の琴糸用の座繰り、長野県岡谷市蚕糸博物館所蔵の各種座繰り器を調査し、三条式座繰糸器を岡谷市のメーカーに発注。併せて古い道具の部品を方方から取り寄せてやっと思い通りの座繰り器ができた。糸引きの技術は、これまで私の工房で二条操足踏式座繰器を使って、交雑種の繭から糸取りを行なっていたので全く問題はなかった。

だが小さな小石丸の繭からの糸取りは、予想以上になかなかはかどらない。繭10粒付けの糸で、一日かかってせいぜい300gの生糸しかとれなかった。

しかし、その苦労は、手にした小石丸生糸の素晴らしさを前にして、大きな喜びに変ってた。10粒付けで約19デニールのとても細く、しかも強く引っ張ってもなかなか切れない糸。細くて張りに強い糸は、織物を制作する立場からいえば理想的な糸、小石丸はそのことを実証してくれた(ちなみに普通の交雑種では繭1粒が2.7〜3デニールの太さで、10粒では27〜30デニールとなる)。

この生糸を京都の下村氏に合撚糸を依頼して、95〜100デニール (撚度は1メートル当たり右190回)の絹糸とした。

糸取り
糸取り

藍染にぴったりの適性

撚り上がった糸は柔らかく、そのままでも織りにできそうだが、染め付きと毛羽立ち(ラウジネス現象)の程度を調べるために酵素練りを行なった。小石丸はセリシンを含む度合いが少なく、110分で練りを終えた。そして乾燥後に藍染めを施した。

私共の藍染めは古来の灰汁醗酵建ての手法を用いているので、一般の絹糸でも毛羽立ちは少ない方だが、時折、藍の調子の加減で毛羽立ちが生じることがある。

小石丸絹糸を藍染めしていて一般の絹糸と全く異なることに、すぐ気付いた。

  • 染め付きがとても早い、いわゆる藍の食いつきが良いこと)しかし、早く染まるのでむら染めへの注意が必要)。
  • ラウジネス現象が殆ど起らない。
  • 艶が失われない。

等々、良いことづくめであった。藍染め後の糸繰りも当然張りに強いので、細い糸にもかかわらずスムーズにいった。

この糸を整経して藍地に花織の小幅着尺を織る。経糸に寸間140本(経総数1,360本)、緯糸に寸間166本を使用する。さすが細い糸なので織り進みは遅い。しかし、経糸の張りが丈夫で糸切れがごく少ない。やはり優れた糸である。

織り上がった反物は一反380g、きめ細かく光沢のある軽い反物ができあがった。

完成第1作のこの反物は、京都の問屋さんを通じて東京の顧客へ渡っているが、裏地より表地の方が軽い位だと賞賛された。第2作としては、やはり藍染めで絣と花織を制作(写真)した。この後は細くて軽い特性を生かして洋装のスカーフを手掛けてみたい。

藍染めのほかに、紫根、刈安などの植物染料でも染めてみたが、染料の乗りは一般絹糸の未精練糸以上に良い。しかし、その効果が最も表われるのは藍染めだった。化学染料による染色試験はまだ行なっていないが、その染色性は多分よい結果が期待できそうである。

良い事づくめで短所を見つけることは難しいが、唯一最大の欠点は、糸価が高いということ。繭価が通常の4倍、その上糸量が少ない、非能率的な座繰り法なので糸価は一般生糸の約8倍にもなるが、軽い織物に仕上がるので一反当りで考えると約6.5倍に落ち着く。

しかし、市場性があれば繭価が高いことは養蚕農家にとっては付加価値の高い仕事となる。

小石丸絹の藍染め花織きもの

絹本来の味を取り戻す

人工造林より自然林の大切さが見直されているように、絹も再びむかしの蚕種に戻ることによって、我が国の蚕糸業の将来に新しい展望が開けるかもしれない。

衣の着心地を求めての究極が絹なのに、その目的を忘れた糸作りが現在なされている。

“小石丸を飼育する”、これは絹本来の味を取り戻す私なりの小さな抵抗でもある。

近年話題を呼んだ藤ノ木古墳の裂の糸も吉野ケ里遺跡から出土した糸端も、調査の結果は小石丸種であるという。その頃と同じ種類の糸であれば、今後、歴史的資料の復元素材としても活用価値は大きいと思う。

子供の頃によく聞いたおとぎ話、天女の天の羽衣もきっとこの小石丸で織られたものであろう。夢がふくらむ小石丸である。

この小石丸飼育の夢を叶えるために、多くの方々のご協力を頂いた。

農林水産省蚕糸・昆虫農業技術研究所、同小渕沢分室、農業生物資源研究所、同宮崎研究室、宮崎県総合農業試験場蚕業部、宮崎県蚕業指導センター、カネボウシルク(株)、宮崎県経済連、綾町農協、宮坂博文氏、下村輝氏に心からお礼申し上げたい。

(綾の手紬染織工房代表/あきやま・まさかず)

小石丸絹(右)10粒の原糸、(左)100デニールの合撚糸
機織り