1921年(大正10年):秋山常磐、染織業を展開
1927年(昭和2年) :撚糸業を併設。首里上布を開発。
1940年(昭和15年):沖縄県織物組合理事長となる
1944年(昭和19年):8月 太平洋戦争状況悪化のため、郷里福岡県田主丸町に強制
10月 戦火により無人の那覇市の向上を罹災。沖縄での全てを手放す
1951年(昭和26年):宮崎で染織業再開
1961年(昭和36年):秋山眞和へ染織業引き継ぎ
1966年(昭和41年):宮崎県綾町にて”綾の手紬”創製
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