世界で最も高貴な色
「大和貝紫」

総貝紫染め 『 花あそび』

千個の貝からわずか数グラム

貝紫は、膨大な数の巻貝を必要とし、希少かつあまりにも高価なため、帝王や貴族の式服にしか使用を許されず「最も高貴な色」と言われてきました。権威の証でもあったことから「帝王紫」や「クレオパトラの紫」と重宝されていましたが、東ローマ帝国の滅亡とともに途絶え幻の色と なりました。秋山は藍の発酵からヒントを得て独自の手法で日本近海に生息するアカニシ貝の内臓(パープル腺)から紫の色素の抽出と染色に成功し、現代に蘇らせました。

類まれな美しい色と優れた堅牢性において貝紫は、染織職人にとり他の追随を許さない天与の染料です。

貝紫の染料にて染められた小石丸糸
初めは小石丸の光沢により金のように輝き、
やがて空気に触れると次第に艶やかな紫に

特徴

貝紫の還元建染めは綾つむぎオリジナルの技術

貝紫で染色する方法は、直接法と還元法があります。
直接法は、貝から分泌液を取出して布につけ、太陽光など紫外線に当てることで発色させます。

還元法は、貝から取り出した分泌液を還元させ、布に染み込ませた後、空気に触れさせ酸化させることで発色します。
この還元法は、綾の手紬主宰の秋山が昭和53年(1978年)から55年(1980年)に、苦心と執念の末に見つけた綾つむぎ独自の技術。発色する原理は藍染めの発色の原理と同じで、天然藍の全てを極めた秋山だからこそ突き止めることができた染色法です。
このように染料のタンパク質を分離、精製、粉末状にすることにより、いつでも好きな時に好みの濃さに染められるようになりました。そして、貝紫の技術を再現した功績により、秋山は国より『現代の名工』に選ばれました。

原料

アカニシ貝

アッキガイ科またはアクキガイ科の肉食性の巻貝が持つ鰓下腺(パープル腺)から得られる分泌液で、貝紫色の主成分はジブロモインジゴ。臭素を含み、強いにおいがします。その食性からか、アッキは悪鬼と書きます。獲物を襲うときに相手にプルプリンという毒物を打ち込み麻痺させますが、このプルプリンに貝紫の染料が含まれています。1匹の貝からとれる染料はごくわずかで、貝の大きさによりますが1グラムとるのに100〜1000個は必要です。染料にするときは布の重さの10分の1が必要なので、Tシャツの平均的な重さ1枚150グラムの布を染めるためには、15グラムの染料、貝の個数は1500〜15000個が必要になります。

有明海産のアカニシ貝

優れた点

紫色自体が色の中でも最も波長の短い色であり、ホルモンの安定·神経痛·精神的ストレスに良い色とされていますが、貝紫で染色した紫色が最も強いといわれています。貝紫の色はやや赤みのある色です。古代の西洋では、貝紫で染められた物には「力が宿る」と信じられており、多くの権力者たちが禁色として、一般の人間の使用を禁じた歴史もあります。
天然染料の紫は紫根やラックダイ(カイガラムシ)などがありますが、貝紫の色の安定性、日光堅牢度の高さなどは、他とは比較にならないくらい優れています。

貝紫にまつわるお話

古代フェニキアの遺跡

西洋の貝紫

貝紫色(かいむらさきいろ)とは澄んだ赤みの紫で、英語では王者の紫、帝王紫といわれるロイヤルパープルといいます。
フェニキアのティルスで多く生産されたことからティリアンパープル、「フェニキアの紫」ともよばれ、born in purple(紫に囲まれて誕生する)という英語は「高貴な家柄に生まれた」という意味を指します。
現在わかっている貝紫染めの歴史で最も古いのは、紀元前1600年頃、古代東地中海のフェニキア諸都市、地中海産のシリアツブリガイを用いた染物です。フェニキア人は小さな巻貝を砕き、中の内臓(パープル腺)を取り出してその分泌物を糸や布に擦り込んで日光にあて発色させました。彼らはこの染色法を発見して貝で染めた紫の織物を交易品として流通させ、貝紫で染めた布は、同じ重さの金と取引きされたといいます。

アレキサンダー大王

帝王の紫

ギリシャを制圧したマケドニアのアレキサンダー大王は貝紫の色を自分だけの色として決め、ローマのジュリアス・シーザーも好んで帝王紫」を着ました。
クレオパトラはアントニウスの気を引くために船の帆を全て貝紫で染上げて彼の元に馳せ参じたと伝えられています。帝政ローマになってからは歴代の皇帝が皆この帝王紫を愛しました。暴君ネロは、特権階級以外で帝王紫を着用・販売した者を死刑に処したといいます。

聖徳太子

日本における紫色

603年に、聖徳太子により制定された冠位十二階では、濃い紫が最高位の色とされ、次の位は淡い紫でした。この時代に日本でも、いかに紫色を高貴な色としてとらえていたかがわかります。ただしこの頃の紫色は紫根で染められていました。貝紫は聖徳太子の時代の最高に高貴な人でも身に着けることは無かったのです。

冠位十二階一覧
(大徳 小徳 大仁 小仁 大礼 大信 小信 大義 小義 大智 小智)

吉野ケ里遺跡

日本最初の貝紫

1989年に佐賀県の吉野ケ里遺跡が発見され大騒ぎになりました。縄文時代後期に始まり、古墳時代までの数百年にわたるムラ集落の痕跡を克明に残した、50ヘクタールに及ぶ大規模な遺跡です。魏志倭人伝に記されている邪馬台国の表記にある「望楼(物見櫓)」、「城柵」、「宮室」、「邸閣」などに相当する遺構がまとまって見つかっているのはこの吉野ヶ里遺跡だけで、吉野ケ里遺跡=邪馬台国(の一部)、いわゆる「九州邪馬台国説」の有力な根拠になっています。遺跡では、絹と大麻の織り物が発見されたのですが、その布の中で紫に染められた絹糸が現在、綾の手紬でも使っているアカニシ貝というアクキガイ科の貝紫による紫染めと判明しています。
冠位十二階の時代から数百年も前の時代に、紫色は高貴な色として扱われていたのかもしれません。

化学式から見た貝紫

化学式を見るとよくわかりますが、藍と貝紫はよく似ていて、同属の色素です。違いは臭素(元素記号Br)の有無のみとなります。貝紫で繊維を染めた直後の色は淡い黄色ですが、空気に触れさせ酸化させることで発色します。
空気に触れて発色するのも藍と同じです。化学式は時間とともに変化し最後に貝紫色(ティリアンパープル)と変化します。

皇后陛下と綾の手紬の貝紫ショール

当時は皇太子妃殿下だった美智子皇后に貝紫で染めたショールを献上しました。
その後、美智子さまは昭和59年に宮崎県へ、平成16年に綾町へご来幸の際、2回ともこの貝紫のショールを身につけて里帰りさせてくださいました。平成16年に綾町へ行幸の際には、貝紫で染めた小石丸の絹糸を手織りで制作したショールを改めて献上させていただき、それまでのショールは現在、皇居内の博物館、三の丸尚蔵館に収められています。

天皇、皇后陛下と貝紫ショール
昭和61年11月16日宮崎日日新聞掲載(1枚目)
平成16年4月25日宮崎日日新聞掲載(2枚目)